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- 市田村(近世)とは
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市田村(近世) 江戸期~明治12年の村名神崎郡のうち中世は山前【やまさきの】荘に属したという(輿地志略・大神神社文書)中山道に沿う集落で地名は市場に由来すると思われる(神崎郡志稿)彦根藩領慶長7年の検地帳に見えるのが初見で,市田・石川・北町屋を総称して市田村といった(竜田共有文書)村高は680石余(寛永高帳・元禄郷帳・天保郷帳),「旧高旧領」には市田村280石余,北町屋600石余とある元禄8年の戸数は105・人口554で,北町屋75軒・392人を含む(井伊家文書)助郷は中山道愛知川【えちがわ】宿に出役明治5年滋賀県に所属同年枝郷北町屋が独立し北町屋村となる同12年,位田【いんでん】村と合併し竜田【たつた】村となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
市田村(近世) 江戸期の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」